国連でのインターンを振り返る
昨今の世界情勢をニュースを通して見る中で、頻繁に国連(特に安保理)が出てきます。
今回は、2013年からスイスのジュネーヴに留学をした時に経験した「国連でのインターン」について振り返りをします。
※インターンを受け入れてくれたのは、「在ジュネーブ国際機関日本政府代表部」というジュネーヴに数々ある国際機関(国連、WHO等)に日本政府代表として外交活動をする組織です。
- 国連でインターンができたワケ
- インターンでなにをしたか
- International Decade for People of African Descent 2015-2024
- UPR(Universal Periodic Review)
- インターンをした感想
- おまけ その1
- おまけ その2
国連でインターンができたワケ
私が国連でインターンをできるようになったのは、かなり偶然の出来事でした。
私はジュネーヴでの留学時代、学生寮に住んでいたのですが、その部屋(622号室)に、私の前に暮らしていたのも日本人でした。
そして、偶然その人とfacebookでつながって、その人が1年前にやっていた国連でインターンを紹介してもらったから、というのがざっくりとした理由です。
インターンをするにあたり、一応、志望動機を提出して、面接もしましたが、面接は死ぬほど緊張したことを覚えています。
インターンでなにをしたか
インターン自体は1ヶ月ちょっとで、「International Decade for People of African Descent 2015-2024の素案を考えるWG」と「UPR」という会議に参加しました。
International Decade for People of African Descent 2015-2024
この素案を考えるWGは比較的小さい会議だったので、通訳はなく英語のみで行われていました。
(主要な会議では、国連の公用語である英語、フランス語、ロシア語、アラビア語、中国語、スペイン語の通訳が入ります。)
WGでは、この2015年から2024年までの10年のあり方や取り決めについて話し合いが行われていました。
例えば、このDecadeの目的の一つに以下があります。
- Promote respect, protection and fulfilment of all human rights and fundamental freedoms by people of African Descent, as recognized in the Universal Declaration of Human Rights;
WGでは、こういった文章を構成する単語の一つ一つを慎重に吟味していきます。
「文頭はpromoteよりもrequireが適切では?」「fundamental freedomsではなく、essential freedomsではどうだろうか?」など、といった感じです。
このWGで、印象的だったのは英語のネイティブスピーカーだからといって意見が尊重されるわけではないということです。
各国を代表して1-2名の人がこのWGには出席しており、発言がある場合は手元のボタンを押します。そうすると、議長が国名を指名して、発言することができます。
このような小規模で、条文などの素案を考えるWG的な会議では、英語として文章を最適化することも求められますが、このDecadeに対して各国がどのようなアクションを取っていくのかという外交的な姿勢も現れるのだということが分かりました。
このDecadeにおいて各国がとったアクションはこちら
UPR(Universal Periodic Review)
次に参加したのは、4年半ごとに選ばれた国の人権状況を国連加盟国がレビューをするUPRという会議です。
私が参加した第19回のUPRでは、ノルウェー、アルバニア、コンゴ、コートジボワール、ポルトガル、ブータン、ドミニカ、北朝鮮、ブルネイ、コスタリカ、赤道ギニア、エチオピア、カタール、ニカラグアがレビュー対象の国でした。
そして、それぞれの国を実際にレビューをし、レポートを作成する3カ国は「トロイカ」と呼ばれ、トロイカは以下の通りです。(他の国も発言をすることはできます)
日本は赤道ギニアのトロイカになっていましたが、印象に残っているのは北朝鮮のレビューでした。
一見すると、日本と北朝鮮の二国間の問題に思える拉致問題についても、実際には他の様々な国からこの問題の早期解決を求める助言がありました。
とにかく会議室が満席で、政府関係者に加えて、NPO/NGOの人もたくさんいたことから関心の高さが感じたことを覚えています。
インターンをした感想
学生だった私は、インターンをしているこの瞬間にも、人は飢えているし、死んでいるんだなと常に考えていました。
人権問題をよく穴の空いたバケツに水を注ぐ例えをすることがあります。
穴の空いたバケツを人権問題が発生している国や地域だとして、注がれる水を食料などの物資の支援と考えると、物資の支援には即効性はあるものの、そもそものバケツに穴が空いていては、永遠にバケツの中に貯まることはありません。
国連はこのバケツの穴の補修において、最も大きな力を世界に与えることができる組織だと思います。
そして、バケツの穴が補修されることによって、将来救うべき人がいなくなる世の中の実現をすることもできます。
インターンをしていた時にはこの点をあまり理解できていなかったのかもしれません。
とはいえ、現在の国連のあり方がベストというわけではありません。
安保理の常任理事国が持つ権限や、日本が分担している国連通常予算など、もっと私達の身近なレベルで国連について考える必要があると思っています。
おまけ その1
日本は2018年にUPRのレビューを受けており、当時の様子はこちら
外務省のウェブサイトでは、日本政府がUPRで指摘されたことに対してどのような姿勢を見せているのかも分かります。
おまけ その2
ジュネーヴにある国連の会議室でおそらく最も有名な会議室は「Room XX」です。
なぜこの会議室がそんなに特別かというと・・・
海底や小宇宙のようにも見え、重力に逆らっているようにも見える不思議な天井があるのです!!!
作者はスペイン出身のミケル・バルセロという現代アーティスト。
ちなみに3/25まで初台の東京オペラシティ アートギャラリーで日本初の大規模な個展を開催しています。
Miquel Barceló ミケル・バルセロ展|東京オペラシティ アートギャラリー
個人的には今生きている芸術家の中でダントツでNo.1です。
私の推し神を紹介します!
多くの人は「エルメス」と聞いたら、フランス発祥のラグジュアリーブランドのエルメスを思い浮かべると思います。
インターネットで検索しても最初に出てきた結果は、このエルメス(以下、ブランドのエルメス)でした。
それは私たちが、「エルメス」という言葉に共通の認識を持っているからなのですが、このエルメスが誕生する1837年以前の人々は、エルメスと聞いたら何を思い浮かべたのでしょうか?
おそらくギリシャ神話の神様の一人であるエルメスだと思います。
ギリシャ神話の全貌は詳しくは説明しませんが、今回は私の推し神「エルメス」についてまとめます。
へルメス?エルメス?メルクリウス?マーキュリー?
つまり、この4つの名前は全て同じギリシャ神話の神様を意味します。
では、この神様(「ブランドのエルメス」と区別して、「神様のエルメス」と呼びます)はなんの神様なのでしょうか?
一般的に神様のエルメスは、以下の職分(担当領域)と言われています。
- 情報
- 伝令
- 牧畜
- 運動
- 商業
- 富・幸運
- 窃盗
- 弁論
- 賭博
- 道路
- 旅行
職分多すぎ、何でも屋の神様・・・
ちなみに、バッカスは酒・豊穣、ポセイドンは海・水域なので、どう考えてもエルメスは担当しすぎなのです。
つねに絶妙に軽妙
神様のエルメスの何でも屋さん加減には理由があります。
それは、エルメスがギリシャ神話のオリュンポスの神とはいえ、お話の中では結構脇役だから。
例えば、ゼウスが正妻ヘラに隠れて、人間の女性セメレーとの間に作ってしまった子供にまつわるお話。
おおまかなあらすじはこんな感じです。
- ゼウスが人間の女性セメレーと浮気をする(ゼウスは人間の前に現れる時は人間に変装しています)
- それを知ったゼウスの正妻ヘラは大激怒
- 正妻ヘラは浮気相手セメレーに伝える:「あの男(ゼウス)は本当の姿は怪物かもしれないから、本当の姿見せてって頼んだ方がいいよ」→ヘラは自分で手を下さないのが怖い
- セメレーはゼウスに頼む:「お願いごとがあるんだけど、聞いてくれる?」
- それに対してゼウス:「なんでも聞くよ!ステュクス川に誓って!」→この川は「針千本飲ます」的な絶対的な約束の効力を意味します。
- セメレー:「あなたの本当の姿を見せて!!!」
- ゼウス:「ぬっ・・・!(まじか!本当の姿、雷光なんだよな。人間の前で変身したら、感電して焼け死ぬじゃん。でも仕方ない、えいっ!)」
- セメレーは感電して死ぬ&お腹の子供は死ななかった!
- ゼウスはセメレーの胎内から子供を取り出して、自分の太ももに縫い付ける→ツッコミどころ満載
- ゼウスは困る:「ヘラに育ててもらうのは無理だし、ニンフ(妖精・精霊的なもの)に育ててもらうか。エルメスを呼んで、ニンフのところまでこの子供を届けてもらおう!」
- エルメス登場。子供を連れてニンフのもとへ行くが、途中子供がぐずる
- そんな時でも焦らない何でも屋エルメス。その場にあった葡萄のツルで子供をあやす。
- 無事、ニンフに引き渡して任務完了
フランスのニコラ・プッサンという画家はこの任務完了の様子を作品に残しています。
オレンジ色のマントをつけている人物が、エルメスです。
子供をニンフと思われる女性に渡していて、画面左のニンフたちもちょっと盛り上がっている感じがします。
エルメスはこんな感じで、神々と人間の間にひょこっと現れて、ちょっと手伝ったり仲介したりすることが多いのです。
主役ではないけど、いると頼りになる。物語が円滑になったり、面白くなったりする。
知っておくと、絵画鑑賞が楽しくなる「アトリビュート」
先ほどの絵では、エルメスが目立つように描かれているので、人物を特定しやすいですが、「アトリビュート」に関する知識を知っているともっと絵画鑑賞が楽しくなります。
「アトリビュート」とは、その人物に特徴的な象徴や持ち物のことです。
例えば、エルメスのアトリビュートは以下のようなものがあります。
- 羽根のついたサンダル
- 2匹の蛇が巻き付いた杖
アトリビュートを知っていると、見たことがない絵でも「あ、これはこの神様っぽいぞ!」というのがわかるので、知っていて損はないです。(神様だけでなく、キリスト教の聖人にもアトリビュートが存在します)
子供をエルメスに押し付けたゼウスのアトリビュートの一つは「鷲」です。
先ほどの絵を見てみると・・
ゼウスがいる雲の左側、ほんとに木の近くに鷲がいることから、「これはゼウスだな」と分かるというわけです。
そして、この絵にはもう一つ、重要なアトリビュートが含まれています。
中央の子供に注目すると、なにやら草でできた冠のようなものをかぶっています。
これはエルメスが子供をあやすのに使った葡萄のツルなのですが、この子供はやがて葡萄を超えて、ワインが好きになり、お酒の神様になったのです。
そう、酒の神バッカスの誕生!
パッと見ただけではエルメスが中心に描かれているように思われますが、やはりエルメスは常に脇役で、主役は子供・バッカスなのです。
だから最初の絵のタイトルは「エルメスのはじめてのおつかい」でもなく、「ゼウスはトラブルメーカー」でもなく、「バッカスの誕生」というタイトルがついているのです。
まとめ
長々とエルメスについて書きましたが、まとめると・・・
- 聖書も良いが、ギリシャ神話はツッコミどころが満載で面白い(一部残酷・汚い・怖い)
- アトリビュートを知っていると絵画鑑賞が楽しくなる
- 身近なもの(ブランドのエルメス、チョコレートのバッカス、ドラレコのユピテルなど)が「ふーん、ギリシャ神話じゃん」となる
今は大学に通っているので、この辺りの知識はマストで身につけているのですが、それ以前はこういう文化的な文脈が必要な作品を純粋に美しさだけで鑑賞するのは結構きつかったです。
「綺麗だけど・・・何を描いている絵なの?」と思っていたし、実際に美術館に行った時には有名な絵ばかり見ていた気がします。(「有名な絵を見たという経験」が欲しかった感じ)
でも、今は、何百年も前に描かれたり、作られたものを現代の人が理解するには、与えられたままの情報では不可能なんだと思っています。(言葉も違うし、時代も違うし、なにもかもが違い過ぎる・・・!)
もちろん、才能のような美的感覚のみで絵を語ることができる人もいるかも知れませんが、大概の人はそうではないはずです。
しかし、アトリビュートの知識のように「エルメス=羽根のついたサンダル」という事実を1つ知るだけで、理解できるようになる絵は相当増えます。
イギリスのナショナル・ギャラリーの館長も勤めたケネス・クラークという人は著書の中で、絵画の見方を4つのフェーズに分けています。
- 全体として見る
- くまなく見る
- 自分の知識&経験、これまで見たことがある別の絵を思い出して見る
- ものが違って見えてくる
1と2のステップはそのまま「目で見る」ことですが、3番目のステップではこれまでの知識や経験が問われています。
せっかく歴史に残る絵画を見るのであれば、1や2のステップで満足せずに、3や4まで踏み入れてこれまで気づけなかった絵の魅力に気づく体験をしてみてはいかがでしょうか?
ハリー・ポッターの映画でスネイプ先生を演じたアラン・リックマンも似たようなことを言っていました。(4:40あたりから)
芝居は忘れろ。美術館へ行け。音楽を聴け。ニュースを見て世界を知れ。意見を形成し判断力と感性を磨け。すると良質な台本がやってきた時にはそれまでに醸成しておいた想像力がちゃんと反射する。
知識や経験を自分の中で横流しにせずに、貯めていくようにしたいな、と思ったのでした。
おわり。
おまけ
ごちゃごちゃ感といい、モローの絵の真ん中あたりにいる巨大な羽根の生えた男といい、
なんかめっちゃ似てませんか?!?!?!(これでレポート書きたい)
参考文献:
会社組織の当たり前を物理学で考えてみる
最近聴いていたPodcastで、物理学者&楽天の執行役員でもある北川拓也さんが面白い話をしていました。
第一原理主義
物理学(自然科学全般)の世界では「第一原理主義」(First Principles Thinking)という考え方がある。
教科書的な定義だと、ほかのものから推論できない命題(基本的前提)のこと。つまり、ある複雑な問題に関して、絶対に確実だとわかっていることがそれにあたる。
「全体は部分の合計」という考え方で、分解することで全て理解できる、というものらしい。
例えば、素粒子⇒原子⇒分子⇒細胞⇒生物と構成されていて、「生物」の研究で疑問があったら、その下層要素である「細胞」の法則に立ち戻って明らかにすれば、「生物」についても疑問解決できるね!ということ(だと、私は理解した・・・)
イーロン・マスクがロケットを作ろうと考えた時も、この原理を使って、ロケットの構造や打ち上げ費用削減といった課題を分解していったようで、「第一原理主義」でGoogle検索すると、たくさん記事が出てくる。
英語をマスターしようとする大人に「中学生からやり直せ!」といった言葉が妙に響いてしまうのは、この原理のせいなのかもしれない。
でも、「分解することで全て理解できる」なんてことがあるのだろうか。それって人間の傲慢では?
More is Different
第一原理主義が人間の傲慢か、なんてことは物理学にとっては分野外れなテーマかもしれないが、「最も創造性に富んだ物理学者」が1972年に名言を生んだ。
アメリカのフィリップ・アンダーソンがサイエンス誌に発表した「More is Different」という論文である。
従来支配的だった第一原理主義への反省・反論をまとめたもので、タイトルの通り、構成要素がたくさん集まると、予想もつかないことが起こる、ということを述べている。
つまり、「全体は部分の合計ではなくて、構成要素ごとに科学が必要」らしい。
なんだか物理学者ぽくない物理学者だと思う(良い意味で)
従来のビジネス理論
従来のビジネス理論は、「誰がやっても同じ結果になる数式」を求めていた。
理論である限り、「時と場合によります」なんてことは言えないから。
でも、「誰がやっても変わらない」と定義することは、人間や組織の存在を軽視しているのでは?
More is Differentなビジネス理論
素粒子⇒原子⇒分子⇒細胞⇒生物(人間)⇒会社(法人)⇒社会
第一原理主義に基づくと、生物(人間)が集まって形成される会社(法人)において、何か問題が起こったら、それは人間一人一人を分析すれば解決できる、ということになる。
上記はかなり極端な決めつけだが、単純に工数を増やせば売上が上がる、と考える人にとってはそんなに極論ではないかもしれない。
ただ、例えば同じ20人規模の会社を作るとしても、どんな20人を集めるかによって異なる会社が出来上がるように、会社の構成要素が人間である限り、そんなに簡単な問題ではない。
人数が増えれば増えるほど、組織は変わる(もちろん減っても変わる)。
そう考えると、会社はMore is Differentの典型なのかもしれないし、More is Differentであるべきだと思う。
もちろん第一原理主義的な「なぜ」を突き詰めて、分解して考えていく思考も大切ではあるが、その構造理解を複層的に行うことやミクロを積み重ねてもマクロにならないこともあることを前提にしたビジネス理論も今後、登場&必要とされるのでは?と思う。
終わり
おまけ
P.W.Anderson ”More is Different"全文
絵心0で芸大生になった会社員
自己紹介をするほどの人間でもないのですが、しないのもあれなので。自分の身の回りのことを書きながら、徐々に素性をバラしていく作戦です。
2回めの大学生
まず、私は会社員として働きながら、社会人学生で芸術大学に通っています。
宣伝ではないですが、この大学の美術史や芸術理論を習得するコースです。
実は会社員として働き始めてからずっとアカデミックな世界に戻りたいという願望があって、具体的には映画論(デンマークに留学も考えていた)、ファッション(身体論や哲学的なファッションについて)、フランス文学(なんでだっけ?)を勉強したいと思っていました。
実際9割くらいは、学生という身分で海外に行きたかっただけですが…でも、現実には留学するお金も、会社員として収入を失う勇気もなく、自分の情熱の弱さにも嫌気が差していました。
とはいえ、暇さえあればオンライン講座を受けたり、本を読んだり、できる限り身の周りをアカデミックにする努力はしていた気がします。
やっぱり大学で勉強したい!
会社員で学生をやるとなると、多くの大学はビジネスや経営についてのコースがほとんどで、私がやりたかった文系科目を夜間やオンラインで開講している大学はあまりありません。
興味がある人が関心の赴くままに、でも本格的に勉強できる場所があればいいのに…と思っていた時に見つけたのが、今通っている大学でした。
学費もどうにかなりそう(年間30万程度)で、ほぼオンラインで完結するという利点もかなり大きかったです。
なんでいきなり美術史?!
映画論、ファッション、フランス文学を勉強したかったのに、結局は美術史を勉強しているのは、以下のような理由があります。
- ファッションを勉強していた時、服飾史と美術史は密接な関係にあると感じたから
- 実際、ファッションの歴史を教えている先生は美術史出身の人も多い
- 旅行に行って海外の美術館に行っても、「ルーヴル=モナリザ!」、「オルセー=笛吹いてる少年!」みたいな自分が恥ずかしかった
- なんとなく、芸大生とか美術史ってかっこいい(センス良さそう?!)
ちなみに、私は絵心が皆無で、ちょっとしたゲームなどでも絵を描かなきゃいけない機会があると震えが止まりません(笑)
大変なこと
会社員として仕事をしながら、学生をやるにあたり大変なことは、まず時間がないことです。最近は朝と夜に最低1 時間ずつは時間を取るようにしていますが、レポート類は時間をかけても必ずしも完成するわけではないので、時間と成果が反比例している時のプレッシャーは辛い時もあります。
あとは美術史(特に私の場合は欧米を中心としています)を本当に理解しようとすると、美術史以外の知識が必要だということも改めて思い知らされます。哲学だったり、歴史だったり、ギリシャ・ローマ神話だったり。
何千年にも渡る歴史のパンドラの箱を開けてしまった感があって、たまに絶望的になります(笑)
コロナ禍で辛いことは海外の美術館で本物の作品を見れないことです。やはり図録だけでは伝わらないものも多いと実感しています。
よかったこと
ただ、やっぱり趣味を超えて専攻として勉強することはメリットの方が断然大きいです。(学割含め!)
全員が美術史を勉強するべき、とは思いませんが、私が感じる最大のメリットは「見えないものが見えてくる体験」ができることではないかと。
真っ青な空に白い雲が浮かぶのを見て、印象派の絵を思い出したり、世界で未だ終わることのない戦争のニュースとスペインの画家たちが描いた内戦の絵をリンクさせたり。
美術館にある一枚の絵(=平面の情報)から、描かれていること以上の情報を立体的に受け取ることができるようになったことは、意外と他のことにも汎用性が高いのではないかと思っています。
とは言いつつも、まだ社会人学生を初めて4ヶ月で、留年・退学の可能性も十分あるので、あまり偉そうなことは言えません(笑)
ただ、一度社会人になっても興味とやる気があれば、いつでも学生になれる社会的な流れができると救われる人は多いんじゃないかな、と思います。
おわり